煙草

 「たばこ」についてGoogleで検索をかけるとニコチンという物質の毒性についてや、肺癌リスクだのの他に、いかに「タバコ」によるリラックス状態が人為的で、まやかし的なものなのかという有り難い御高説が溢れている。

 

 僕は「潔癖症」という人種が最も嫌いなのだが、元喫煙者を除いた嫌煙家にも似たような嫌悪感を感じる。

彼らの価値観はいわば文字は綺麗に書くものだと似たような嘘臭さがある。そう嘘くさい。親の愛みたいに真実性を帯びた悪性が存在する。

文字は自分の考えが形として残っていて、誰か読みたいやつが読めればよく、本来誰にでも開放されている必要はない。むしろそのような潔癖な字を描くことが、(岡本太郎的にいうと)己のひん曲がった自分像に蓋をしてそれとの格闘を邪魔している。

 

タバコは吸わない、車は持たない、女遊びもしない。

コンパクトで、頭がよく、誰にとって無害な家畜ども。

そういう嘘臭さを今の若者にも、過去の自分自身にも感じるのだ。